富山の薬の歴史

1690年(元禄3年)富山藩二代目主前田正甫公が江戸城に登城した時のこと。
諸大名が居並ぶなか、江戸城の大広間で三春藩主秋田輝季公が激しい腹痛を訴えて倒れました。
前田公は肌身離さず持っていた自分の印籠から薬を取り出して勧めたところ、
たちまち腹痛が治まったのだそうです。
あまりの薬効の早さに驚いた諸大名たちから「自領内で販売してほしい」と
申し入れが相次いだことから始まったのが富山の薬業といわれています。
発売当時のピラビタール処方の「ピラ」。
この頃の金額は40円でした。 かぜピラ

東亜薬品の看板商品ともなっている「かぜピラ」。 
このかぜピラには長い歴史があります。

「かぜピラ」というネーミングは発売当初に含まれていた
「ピラビタール」という解熱鎮痛成分より「ピラ」と付けられ、
当時は”解熱鎮痛剤”として発売されました。
後に処方が変更され、現在の総合感冒薬”としての「かぜピラ」となります。 

昭和27年には40万帖を販売したという記録が残っております。
パッケージの獅子頭は「獅子舞に噛まれると風邪をひかない」など縁起のよさより決まったとか。
この獅子頭は富山の画家によりデザインされておりますが、
その際に使わない正面以外もデザインされた獅子頭まで実際に作成したと言われています。
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